神が私たちを造りました。

「神は、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」 (創世記1:27)

神は私たちを愛しています。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」 (イザヤ43:4)

それではなぜ私たちはこの神を知らないのでしょうか?

   
 

 

 
   

私たちは罪の状態にあります。

「すべての人は罪を犯したので、きよい神から遠く離れている。」 (ローマ3:23)

人は本来、神の愛の中に憩うものとして創造されましたが、神に背を向け、自分中心の歩みをするようになりました。その結果、みずからの価値や人生の意味がわからなくなり、多くの問題を抱えるようになりました。人が神から離れ、神に対して失礼な態度をとり続けている状態を、聖書では「罪」と言っています。

私たちは断絶されています。

「罪からくる報酬は死(神からの断絶)である。」 (ローマ6:23)

この図は、きよい神と罪ある人間との関係を描いたものです。両者の間には、越すことのできない断絶があります。私たちは、良い行い、哲学、宗教といった人間的な努力を積み重ねますが、この断絶をうめることはできません。

それでは、この断絶に橋渡しする方法はないのでしょうか?

   
 

 

 
   

イエスは、神そのものの現われでした。

「神は人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。・・・この方は恵みとまことに満ちておられた。」 (ヨハネ1:14)

イエスが死んだのは、私たちの身代わりでした。

「イエスは、自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、神との正しい関係に生きるようになるためです。」 (?ペテロ2:24)

イエスは死からよみがえり、多くの人々が彼を目撃しています。

「イエスは・・・私たちの罪のために死なれ・・・葬られ・・・三日目によみがえられ・・・500人以上の人々の前に現れました。」 (?コリント15:3-6)

この図は、先ほどの断絶に、神がどのように橋渡しをしてくれたかを説明しています。イエスの身代わりの死と復活によって、私たちの罪のつぐないがなされ、死(神からの断絶)の問題が解決されました。神が、身をもってご自身の愛を示してくださったのです。

この出来事をただストーリーとして知るだけでは十分ではありません・・・

   
 

 

 
   

イエスを受け入れるとは、イエスを信頼するということです。

「あなたがたが救われるのは、イエスの身代わりの死と復活を信頼したからです。それは、あなたがたが自分の努力で獲得したものではなく、神からのプレゼントです。人間の行ないによって得るものではありません。誇る人がないためです。」 (エペソ2:8-9)

私たちは、個人的にイエスを受け入れます。

「さあ、私(イエス)は戸の外に立ってたたいています。誰でも私の声を聞いて戸を開けるなら 、私はその中に入り、その人と一緒に食事をします。」 (黙示録3:20)

 

次の図は、二つの人生を表しています。

   
   






イエスが心にいない人生

毎日の生活が自我 によって
方向づけられ、実は不安と
不満が続いています。







イエスと共に歩む人生

毎日の生活が神と調和して
おり、心に深い安心と喜び、
自信が満ちています。


この二つのうち、あなたの今の状態を最もよく表しているのはどちらでしょうか?
もし選ぶなら、あなたの人生としてどちらがよいと思いますか?

   
 

 

 
   

次のように祈ることによって、あなたも今、イエスを受け入れることができます。

「イエスさま、いま私は、私が受けるべき罪の刑罰を、あなたが身代わりに十字架で受けてくださったことを聞きました。あなたの愛をありがとうございます。いま、心を開いてあなたを受け入れます。どうぞ私の人生を共に歩んでください。」

これは、あなたの心を表していますか?もしそうなら、いま、祈りましょう。
イエスはあなたの心に入ってくださいます。

今、上の祈りをしましたか?